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人生朝露

人生朝露

金庸と荘子 ~丘処機と養生~。

12世紀ごろの勢力図。
西暦でいうと1126年。宋王朝は女真族の金の侵攻を受け、首都開封を包囲されて、徽宗・欽宗皇帝をはじめとする皇族を拉致されてしまいます。いわゆる靖康の変です。その後、領土の北半分を失ったものの、高宗が南京で即位して南宋が興り、中国の南北に異なる民族の政治体制が成立します。この北の方の金が支配していた山東半島で、王重陽(おうちょうよう 1112-1170)という人物を中心に「全真教」という宗教団体が立ち上がります。(ちなみに、同時代には太一教、真大道教といった道教の教団も成立しています。)教義としては儒・佛・道の三教の一致を説き、禅仏教との共通点も多いのが特徴です。また、真行のような社会奉仕的な活動にも積極的な組織でした。 

参照:Wikipedia 全真教
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%9C%9F%E6%95%99

全真七子。
教祖であった王重陽亡き後、全真教団は一人の後継者によらず、全真七子という七人の高弟たちの合議制という形式を採ります。この七人のうち、最も有名な道士を、丘処機(きゅうしょき 丘長春とも)といいます。西暦1222年、彼はチンギス・ハーンに招聘されて、二年の歳月をかけてヒンズークシ山脈の南麓(現在のアフガニスタン)の野営地を訪れています。時に丘処機は七十四歳。チンギス・ハーンに向かって養生の道を説き、モンゴルの信任と後ろ楯を得て、後の全真教団の発展の礎を築きました。

成吉思汗(Genghis Khan 1162-1227)。 丘処機・ 長春(1148-1227)。
『上遣大臣喝剌播得來迎、時四月五日也。館舍定、即入見、上勞之曰「「他國徴聘皆不應、今遠踰萬里而來、朕甚嘉焉。」對曰「山野奉詔而赴者、天也。」上悦、賜坐、食次、問「真人遠來、有何長生之藥以資朕乎?」師曰「有衛生之道、而無長生之藥。」上嘉其誠實、設二帳於御幄之東以居焉。』(『長春真人西遊記』)
→皇帝は喝剌播得(カラホト)に大臣を派遣して師を歓迎した。4月5日のことであった。宿舎が決まった後、すぐに謁見が始まった。皇帝は労いの言葉の後に「他国からの徴聘に応じず、はるばる万里の彼方より来る。朕はこれを嘉する。」とおっしゃった。師は「詔を奉じて赴いたのは、天の意に従ったまでのことです。」と応えられた。皇帝は喜び、その座において食事を共にした。「真人、遠方より来る。何か長生の藥をお持ちならば、朕に資してくれまいか?」師曰く「世に衛生の道はございますが、長生の藥なるものはありませぬ。」皇帝は師の誠実さを喜び、二帳の天幕を行宮(オルダ)の東に設けて居所とするよう下賜された。

・・・紀行文として、また当時の中央アジアの記録としても名高い『長春真人西遊記』から。ここで丘処機は、チンギス・ハーンに「有衛生之道、而無長生之藥。(衛生の道、すなわち生を衛る道は存在するが、それは長生きのための薬ではない)」と言っています。それまでの道教では煉丹術や錬金術のような、疑似科学的な手法によって精製された薬物を服用して永遠の存在になる、というような手法が流行していたんですが、丘処機はその立場を採っていません。

参照:道教と神農。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201411230000/

道教と煉丹  ~霊芝と水銀~。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201502250000/

このことについては、日本の江戸時代のベストセラー『養生訓』でも高い評価を受けています。
貝原益軒(1630-1714)。
『丘処機が、「衛生の道ありて長生の薬なし」といへるは、養生の道はあれど、むまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。養生は、只むまれ付たる天年をたもつ道なり。古(いにしえ)の人も術者にたぶらかされて、長生の薬とて用ひし人、多かりしかど、そのしるしなく、かへつて薬毒にそこなはれし人あり。これ長生の薬なき也。久しく苦労して、長生の薬とて用ゆれども益なし。信ずべからず。
内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつゝしみ、動静を時にせば、生れ付たる天年をたもつべし。これ養生の道あるなり。丘処機が説は、千古の迷(まよい)をやぶれり。この説信ずべし。凡そ、うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは迷をとく道なり。』(『養生訓』)

参照:荘子の養生と鬱。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5030/ 

丘処機・ 長春(1148-1227)。
『太祖時方西征、日事攻戰、處機每言欲一天下者、必在乎不嗜殺人。及問為治之方、則對以敬天愛民為本。問長生久視之道、則告以清心寡欲為要。(『元史』巻 二百二〈釋老.丘處機〉)
→太祖は当時西方への遠征の途上で日々侵攻をくりかえしていた。処機は事あるごとに「天下を欲する者は決して殺人を嗜むような者であってはなりませぬ。」と言っていた。また、統治の方法について尋ねると、「天を敬い民を愛する(敬天愛民)を基本とする」と答え、長生久視の道について尋ねると「心を清く欲を寡なく」することが肝要と答えた。

正史たる『元史』の中では、丘処機はチンギス・ハーンに対して殺人を咎める発言をしたと記録されております。やはり、老子の弟子です。

老子(Laozi)。
『夫兵者不祥之器、物或悪之、故有道者不処。君子居則貴左、用兵則貴右。兵者不之器、非君子之器。不得已而用之、恬淡爲上。勝而不美。而美之者、是楽殺人。夫楽殺人者、則不可以得志於天下矣。』(『老子』 第三一章)
→兵は不祥の器である。人は普通これを嫌い、道を心得た者はこれを用いない。君子は普段左を貴ぶが、事あるときは右を貴ぶものだ。兵は不吉な器であるので、君子ならば使うべきではない。やむを得ず使うことがあろうとも、執着なく使うことが望ましい。たとえ勝っても美徳とはならない。これを徳などとする者は、殺人を享楽とする外道であろう。人殺しを楽しみとするような者が、天下を望んだところで、到底成し得るはずがない。

参照:老子とトルストイ。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5072/

丘処機・ 長春(1148-1227)。
実は、この丘処機(きゅうしょき)という人物。歴史的な評価とは比べ物にならないほど、中華圏において大変な知名度があります。彼を有名にしているのは、フィクションの世界。武侠小説『射雕英雄伝(しゃちょうえいゆうでん))』(正しくは「雕」のつくりは「鳥」))の中心人物としてです。この小説の世界において、全真教は武門の名門として、全真七子は武術の達人集団として、そして、丘処機は、短気で喧嘩っ早いところはあるのもの、実直で義理堅い「武術の達人」として描かれています。イメージと史実とのギャップからすると日本の水戸黄門に近いかな。

金庸(Jin Yong 1924-)。
『射雕英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)』は、香港の『明報』の創業者にして作家の金庸(きんよう Jin Yong 1924-)の武侠小説です。作者の金庸は、1972年以降、すなわち40年以上新作の小説を発表しておりませんが、彼の作品は現在でも絶大な支持を受け映像化され続けています。

連続性のある射雕三部作(the Condor Trilogy)は、特に有名です。
Shooting condor heroes 。 神雕侠侶。 『倚天屠龍記』(1961)。
射雕英雄伝(しゃちょうえいゆうでん The Legend of the Condor Heroes 1957)
神雕俠侶(しんちょうきょうりょ The Return of the Condor Heroes 1959)
倚天屠龍記(いてんとりゅうき The Heaven Sword and Dragon Saber 1961)

発表の時期も、三部作である点も、また、現在のCG技術の発達によって、「ようやく原作を忠実に映像化しても鑑賞に堪えうるようになった」点でも、J・R・R・トールキンの『指輪物語』に似ているため「西のトールキン、東の金庸」と表現される場合があります。

参照:射雕片头OP《天地都在我心中》含日文翻译
https://www.youtube.com/watch?v=swBYoTEDH9Q

ただ、ネタバレになりますが、
『ゲド戦記 影との戦い』(A Wizard of Earthsea 1968)。
奇しくも、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記 影との戦い(1968)』と『射雕英雄伝(1957)』のラストシーンが、双方ともに『荘子』の「影を畏れ迹を悪む」を活用していますので、武侠と西洋のファンタジーとして対比するならば、この2作がオススメです。

荘子 Zhuangzi。
『甚矣子之難悟也。人有畏影惡跡而去之走者、舉足愈數而跡愈多、走愈疾而影不離身、自以為尚遲、疾走不休、絶力而死。不知處陰以休影、處靜以息跡、愚亦甚矣。』(『荘子』 漁父 第三十一)
→ある人が自分の影をこわがり、自分のあしあとのつくのをいやがった。影をすててしまいたい、足あとをすてたい、そこからにげたいと思って、一生懸命ににげた。足をあげて走るにしたがって足あとができてゆく。いくら走っても影は身体から離れない。そこで思うのには、まだこれでは走り方がおそいのだろうと。そこでますます急いで走った。休まずに走った。とうとう力尽きて死んでしまった。この人は馬鹿な人だ。日陰におって自分の影をなくしたらいいだろう。静かにしておれば足あともできていかないだろう。(現代語訳は湯川秀樹著『本の中の世界』「荘子」より)

参照:アーシュラ・K・ル=グウィンと荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5164/

Wikipedia 金庸
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%BA%B8

続きはいずれ。

今日はこの辺で。


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